選択的会社員

うつ、休職を経たアラサーOLが会社員生活の中で感じるひそやかな幸せ

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果てること、伝えゆくこと

昨日、考えさせられることがあった。一日置いて、少し気持ちが整理できそうなので書いてみる。

母方の祖母が自宅で転んで、足の骨を折った。特に用もなく寄った実家で、母が前置きもなく切り出した。祖母を発見したのは、母の妹であるおばだった。何時間も動けなかったであろう祖母は、トイレにも行けず、発見時は酷い有様だったという。

母は「私が近くにいれば」と言うし、おばは「私がもっと早く気付けば」と言った。助けも求められず、本当に辛かったであろう祖母のことを思うと、そんな考えが頭を支配するのはよく分かる。でも、全員がそれぞれに自分自身を責めるのはやめてほしいと思った。祖母もきっと、娘たちではなく、動かない自分の身体を責めただろうから。老いに対して、医者でもない私たちができることはあまりにも少ない。

自分にとって温かい存在がいつまでも続いてほしいと願う反面、それは無理ということもちゃんと知っている。だから、倒れる前に誕生日を迎えた祖母に送った手紙には、「いつまでも元気でいてね」とは書かなかった。「いつまでも可愛くて優しいおばあちゃんでいてね」と書いた。嘘でも元気でいてねと書くこともできるのに、自分は本当にクソ真面目だなと思う。

もし祖母が近い将来果てても、私にとって祖母は永遠に「可愛くて優しい」祖母だ。祖母のことを思い出し誰かに伝えるときは、可愛くて優しいおばあちゃんだったんだよ、と伝えるだろう。そうやって、本人が果てても周りの人に伝えゆくこと。そのとき、私や周りの人が温かい気持ちになれれば、愛おしい存在が不在の寂しさともやってゆける気がした。

私が果てたときは、なんて伝わっていくんだろう。クソ真面目な女だったよ、な気がする。それはそれでヨシ!伝えてくれるだけでサンキュー。